あの命この命

去る12月4日、父方の祖父が帰らぬ人となった。78歳だった。
父親が祖父と喧嘩していたこともあり、祖父とは10年以上も会ってなかった。八女に異動になってから、祖父が八女の病院に入院していることを知り、お見舞いに行った。今にして思えば、八女に来たのも何らかの力が働いていたのかもしれない。
お見舞いに行ったときの祖父は既に寝たきりの状態で、言葉を発することも儘ならない、ただ機械に生かされているような状態だった。それでも、僕の顔を見たときにあげた驚愕と感嘆が入り混じったような声と表情は、今も僕の脳裏に焼き付いている。
幸か不幸か、僕は23年間生きてきて、身内の死というものに初めて触れた。動かなくなった祖父は、冷たくて、何も言わなくて、苦しみから解放され、ただただ安らかな表情を浮かべてそこに横たわっていた。
こじんまりとした、でも荘厳な雰囲気の中で葬儀は行なわれた。二度と話すことも出来ない、触れることも出来ない、そんな別れを目前にして、父や父の兄弟たちはどんな気持ちでいるのだろうか。10数年ぶりに祖父に会った自分には「祖父が亡くなった」という実感はイマイチ湧かないのだが、血の繋がった実の父親が亡くなった父親たちの気持ちを考えると、やはり切なくなる。
火葬場で、一時間半のうちに祖父は肉塊から灰に姿を変えた。ヒトという生命の組織の中で、電気信号の奇跡が生んだ気持ちや感情や想いなどは何処に行ってしまったのだろうか。全てはもう元には戻らないし、帰ってくることもない。でも、形ある肉体が灰になって消えてしまっても、形の無い想いはゆらゆらと形を変えながら、みんなの胸に残っていく。
今日、従姉が男の子を出産した。予定日よりも少し遅れての出産。「生まれ変わり」だとか、そんなことを信じるようなガラじゃないけど、生命の連鎖の妙を感じずにはいられない。