供養

電気ストーブがとうとう壊れてしまった。7年前に3000円で買ったストーブ。価格と稼働年数を考慮すれば、よくぞ今まで頑張ったと言うしかない。本当に今までありがとう。そしてお疲れさま。
この電気ストーブとの思い出といえば、やはり大学受験になる。受験の一ヵ月前になると、僕は「通学時間が勿体ないから」と高校に行かずに自宅に引き籠もって1日14時間机に向かうというキチガイじみたことをしていたのだけれど、冷え性だった僕は足元に電気ストーブを置いて頑張っていた。あの電気ストーブがなければ、きっと勉強に集中することもできず、少なからず人生が変わっていたように思う。
八女に来て、寒さが本格化してから実家にあった電気ストーブを八女に持ってきた。福岡の実家では大活躍だった電気ストーブも、八女のボロいアパートでは力不足といわざるをえなかった。隙間風の吹く中では、電気ストーブはあまりにも無力だった。「こりゃあ、石油ファンヒーターでも買わないといけないかな」と考えたその夜、電気ストーブはスイッチを入れても動かなくなってしまった。人が自分を必要としてくれる人を求めるように、電気ストーブも必要とされることを求めていたのかもしれない。自分の役目が終わったことを悟って電気ストーブは壊れてしまった。
次の日、僕はさっそく石油ファンヒーターを買った。僕の部屋は暖かくなり、その部屋の片隅には動かなくなった電気ストーブがある。機械工でもない僕は、電気ストーブを直すことも新しい命を吹き込んでやることもできない。
ここにこうして、電気ストーブが存在したことを書き記し、感謝の思いを綴ることが、寿命を迎えた電気ストーブに対して僕ができる、せめてもの供養。